展開が早い。
そして自分の心の変化も早い。
ハラスメント報告をして、1ヶ月。
私が揺れていたのはおそらく
① 存在の正当性を他人に委ねてしまう傾向
➤「私はここにいていいのか?」という不安
- 無視や拒絶に過敏になる
- 自分の存在を“歓迎されること”で証明しようとする
- 「嫌われたら存在ごと否定された気がする」
② 評価や承認への依存
➤「認められていない私は価値がないかも」という思い込み
- 褒められることで安心し、批判や無関心に不安定になる
- 誰かに評価されないと、努力や成果に意味がないように感じる
- ハラスメントに反応するのは「私の正しさを否定された」と感じるから
③ 他人の感情や反応を“自分の責任”と捉えてしまう癖
➤「相手が不機嫌=私のせい」と思ってしまうパターン
- 相手の不機嫌を回避するために“いい子”や“我慢”の役を引き受けてしまう
- 怒られたり、機嫌を損ねられると、まず自分を疑ってしまう
- 自分を守るより先に、“相手の感情ケア”をしようとする
この3つ、1つの共通の根
それは:
「私はそのままでは価値がないかもしれない」
という、奥に潜んだ信念(=思い込み)
この信念を少しずつ書き換えていくには:
- 「誰にどう扱われても、私はここにいていい」
- 「評価されなくても、私は価値ある存在」
- 「相手の感情は、相手のものであって、私の責任ではない」
といった“新しい前提”を、自分の中に根づかせる小さな行動を積むことがカギ。
信念に気づく“内なる声キャッチ”練習
まずは、「今、私は何を信じてしまってる?」と自分に問いかける癖をつけていく。
- 無視された →「私、いま“私はいらない存在”って信じかけてない?」
- 怒られた →「“私が悪い”って無条件に思い込んでない?」
- 評価されなかった →「“認められない私は意味がない”って苦しくなってない?」
“自分の中にある古い前提”に名前をつけて見てあげることで、距離が生まれ始める。
私はどうやら自分の存在価値を外側に委ねていたようだ。
会社の上司の評価に自分の価値を委ねていたことに気づいた。
私は先輩に無視されても大丈夫だった。
今となってはどうしてあんなに苦しかったのかわからないくらいだ。
そして私は全人類に誠実さを求めているみたいだ。
だから責任を逃れたくて嘘をつく人を見ると
許せないみたいだ。
そこをちょっと緩めたいなと思う。
そういう人はまだそこだから。
指摘したらキレるし受け入れられない。
「自分の非をまっすぐには認めず、外的要因にすり替えるクセがある」
こういう人が許せなかった。
「自分のミスを認める=自分がダメだと証明される」っていう強い恐れがある気がする。
私は今までそういう構造になっていることを本人にわかってもらいたかった。
しかし今は
「ああ、この人はまだそこにいるんだね。
でも私はそこにいない。
私はもう、自分を見捨てない。
だから、巻き込まれない」
になってきている途中。
まだ揺れるけど。
こういう人との関わり方
1. 「見抜いても、直そうとしない」
❌「こういう弱さがあるから、気づかせてあげなきゃ」
✅「ああ、この人はまだそこにいるんだね。私は違う場所にいる」
これは “距離”を取る智慧。
見抜いたからこそ、介入しすぎない。
2. 「事実と感情は分けて扱う」
→ 相手が責任逃れをしてきた時、「その言い方では困る」とは伝える。
でも、“この人はまだそうするしかできない”と感情の方はスルーする。
つまり:
事実は明確に、でも感情には巻き込まれない。
3. 「相手の不安に共鳴しすぎない」
❌「この人も傷ついてるんだ、だから…」と過剰に理解しない。
✅「そうなんだね。でも私は私の安心を守るよ」
共感と自己犠牲は違う。
共感力が高すぎて「巻き込まれる」ことが多かった。
でももう、共感しすぎなくていい。
4. 「反応しない=無視ではなく、尊重」
反応しないことは冷たさじゃない。
無視されて苦しかったからこそ、「私が無視するわけにはいかない」と感じていた。
しかし“反応しない”は、私の魂の静かな強さである。
「私はあなたの未熟さに合わせては動かない。でも見下しもしない。放っておく。」
5. 「私自身の弱さを否定せずに、その人とは線を引く」
相手の弱さを見抜いた時に、「自分にもこういうところあるかも」と思ってしまうことがある。
でもそこで自責に入らず、こう言えるようになると楽になる:
「たしかに私にも弱さはある。でもそれと、この人の未熟さは別問題。
私は“私を大切にしてくれる人”とだけ関わりたい。」
私に今いちばん必要な関わりの言葉
- 「私はあなたを変えようとはしない。私を守ることに集中する」
- 「あなたの言い訳には反応しない。私の真実だけを大事にする」
- 「あなたの恐れはあなたのもの。私は巻き込まれない」
- 「共感しても、責任までは取らない」
関わり方を選ぶことは、
自分の魂を守る方法でもあり、
本当に繋がるべき人と出会う準備でもある。