ホ・オポノポノの「クリーニング」とは、自己共感なのではないかと思った。
もしくは、エンパシーそのものなのかもしれない。
「ウニヒピリ」は生存本能かもしれない。
私は今、浴びるほどエンパシーされていて、
生存本能がゆるんでいくのを感じている。
共感された記憶は、エネルギーが流れていくようにほどけていく。
生存本能が握りしめていた記憶が抜けていくことで、
もう防御しなくてもよくなる。
そして、愛から行動できるようになる。
そんな感じがしている。
「記憶を消去する」ということは、
言い方を変えると、
「生存本能をゆるめること」なのだと思う。
記憶を消すとは、
出来事そのものの記憶をなくすことではなく、
その記憶に結びついた防御反応の固定をゆるめること。
たとえば、
「〇〇すると傷つく」
「だから〇〇しない」
「だから私は閉じる/避ける/証明する/我慢する/攻撃する」
という生存本能の回路がある。
そこにエンパシーが入ると、
その奥にあった本当の願いが見えてくる。
それは単に、生存本能を安心させるためのストラテジーではなく、
自分がこの世界に創り出したい世界観や概念に近いものなのだと思う。
そうすると、意識の焦点が、
「傷つかないために何を避けるか」から、
「大切なものをどうこの世界に創るか」へと移っていく。
それだけで、
「〇〇しない」と凝り固まっていたエネルギーは流れ出す。
そして、傷ついても大丈夫だと感じられる神経が育っていく。
こういう解放の構造を、システム化したいと思っている。
エンパシーだけではなく、
歌うことでもいいし、演じることでもいい。
声にして発すること、響かせること、感じること。
そうした体験そのものが、解放になるのだと思う。
私は、そういう共鳴解放装置を作りたい。

