私は小学生くらいの頃から、吉本ばななさんの本を読んでいた。
大人になってもブログを読んでいて、スピリチュアルやヒーリングの世界は、かなりばななさんの影響を受けていたと思う。
私は、ばななさんのことを、勝手に「乗り越えた人」だと思っていた。
痛みを抱えながらも、それを美しい言葉に変え、世界に差し出し、多くの人を癒してきた人。
その人が歩んできた方向をたどれば、私もいつか抜けられるのだと思っていた。
私は幻想を抱いていたのだと思う。
「統合した人は、何をやってもうまくいく」
「この道を進んでいけば、いつか全部が癒される」
でも、今回の有料記事を読み終えて、
「ああ、そういうことだったのか」と思った。
私が勝手に作り上げていた「統合された吉本ばなな」像が崩れた。
それは、自分が長年信じてきた救いの地図が揺らぐような体験だった。
世の中の美しい芸術が、痛みから生まれることはわかる。
痛みがあるからこそ、人の心の奥に届く表現が生まれることもある。
その表現によって、救われる人もたくさんいる。
私自身も、そのひとりだった。
でも今回、強く思った。
人を癒している場合じゃない、と。
それが生存戦略だったとしても、
世界中の人に影響を与えて、多くの人を救っていたとしても、
そんなことなら美しい芸術はいらないから
私は、ばななさん自身が幸せになってほしいと思った。
これからは、命をかけて自分自身を幸せにする道を歩んでほしい。
そんなふうに、祈るような気持ちになった。
宇多田ヒカルさんは、憶測だけど、専門的なカウンセラーの支援も受けながら、
自分を自由にしていっているように見える。
専門的な助けも借りながら自分をほどいていくこと。
今回の記事を読んで、私はその大切さを強く感じた。
スピリチュアルは心地いいけど、
根本治療にならない逃避は、ばななさんのお姉さんの猫と同じだと思う。
いくらお金を費やしても、ブラックホールのように消えてしまう。
そういうものが、今の世の中には多すぎるとも思う。
私はもう痛みを商品にして生き延びる道ではなく、
自分を本当に幸せにする道へ進みたいという決意が芽生えた記事でした。

