今日なんとなくSNSを見ていた中で、ある人の投稿が目に入った。
「骨折をしたけどこれはどういうメッセージなんだろうってことを読み解いていく。そして体感を感じる、そしてずっと途中であり、これが一生続く。」
このような趣旨だった。
今私が学んでいることは感情から命のメッセージを読み解くことである。
生存本能が何かをしでかす。
でもそこにそうしなければならなかった理由がある。
そしてそこには命が一番大事にしている願いがある。
私には苦手な人が会社の同じチームにいる。
しかし最近その人の心の動き方がだんだん見えてきて
自分のその人への感触が変わってきた感じがあった。
その人は誰かの上に立って「できる自分」を演出するところがある。
なのでどうしても上から物を言うので、人に対して失礼なところがある。
しかし生存本能がそれをやっているんだと思うとなんだか切ない感じがある。
そうしないといけない理由がある。
今日も別の方に、責められていないのにすごく自分を守っていて
「私はちゃんとやってました!」みたいなことを言っていた。
それを聴いた時に「ちゃんとできていない自分だと不安でたまらなくて守りたいんだな」と感じた。
そこに居れなくなる恐怖なのか、存在価値がなくなる恐怖なのかわからないけど、
それを感じたくなくて、「あってはならないもの」として扱っているから
「ちゃんとしてます!」って言っちゃうんだなあと思っていた。
本当に命に沿って生きる所に、ものすごいトラップを
自分で仕掛けていて、自作自演で躓いている。
だって彼女の願いはおそらく
「ありのままでここにいていいと感じたい」とかそういう類の「自己価値の承認」ニーズなのに。
私はちゃんとしてました!っていうことで周りの大人は「せめてないよ。わかっているよ」という雰囲気を醸し出していた。
でも彼女はそれに気づけていない。
おそらく「私を責めるなんて失礼だ」みたいなことを思っていたと思う。
だから周りと分離していく。
だから大体不安とか怒りとか出たら生存本能だと思って間違いないと思う。
あれ?私の命は何を体験したいのかな?って立ち止まることは
とても豊かな人生の一歩になる。
「あ、私はこれが怖いんだね。
で、本当はこれを感じたいんだね。
じゃあどうやったらそれを感じれるかな?そこから行動してみよう。」
そういうふうに捉え直すことが
人生でたった一つのやるべきことなんじゃないかな。
そういう命のニーズに繋がれる聴き方ができるのが
NVCやレゾナントコミュニケーションを学ぶメリットなのだ。
生存本能と命が仲良く手を繋いで
一緒に歩いていけたらいいなと思う。
メッセージ
Resonant Communication
