昨日の今日斬りが神回でして、私かなこの人はという内容でした。
私は自分の存在がいない方がいいって思ってるから役に立つことでそこにいて良い、にしているんだなと改めて気づきました。
回避行動が克服型なのにも少しびっくりした。
私なんて逃避しまくり人間だって思ってたので。
愛されるように動くことが非常にうまいんだけど、最初だけなのよねえ。
だんだん搾取されたり使われたり利用されたりして疲弊してくる。
自分の命削ってまでしたくない。私は安心してそこにいれたらいいだけで、それができたら怠けるのである。
なのでなんか違うみたいなこと言われるんだよね。
私が怠けだすと大体お別れがやってくる。
心配していたことが現実になるのだ。
「私はいない方がいい」になる。
それが最近の悩みだ。
なぜこのシステムが動くかという根本を理解することが抜ける鍵だとみいちゃんも言ってます。
私はここにいない方がいい、迷惑をかけてしまうという認識が幼少期に起こったことが何度もあることを記憶しています。
存在不安です。
私は3人姉妹の末っ子で言論の自由があまりなかった。
何を言っても言い返されるのであまり話を聞いてもらった覚えがない。
そして母はいつも不機嫌でお金がないことでイライラしていたので私がいなければお金浮くのになんで産んだんって思ってました。邪魔だと思ってるんだしって。
他にも色々あるけど幼少期に死にたいなあってなぜか思ってるときがあって、大人になってからなんであんなに死にたかったんだろうって思ってて、それが腑に落ちた。
邪魔だしいない方がいいって思ってるからだ。
存在消したかった。これが回避行動の逃避だったんだろうな。
できないから克服に向かっていったんだと思う。
今思えば絵を描くのもデザインしてたのも親が喜ぶからで、それだと喜んでお金出してくれたからなんだよな。
ヨガをし始めたのは本当に良かったんだと思う。自分の身体感覚を感じると自分の存在をただ感じれるのでとても安らぎになった。
でもこれを仕事にして教えるってなるとまた変わっちゃうんだけどね。
最近仲間とご飯を食べていてなぜか急に泣いてしまったことがあった。
話題は沖縄の御嶽の話だったんだけど、どんどん尊厳がなくなっていて悲しい、というくだりで泣いてしまった。隠してパワーを取り戻してほしいけどやり方がわからないしユタさんに知り合いもいないし、もっと誰でもわかりやすく守る方法があればいいのにという内容を話していた。
(沖縄の御嶽や拝所は自然崇拝なので神社のように囲われて守られているわけではなく、自然のなかに突如ある。誰でも入れるので尊厳がなくなってしまいやすい)
私はその時にやっぱり命の尊厳を守りたいって思ってるんだなあって思った。
それと同時に自分の命も尊いもので尊厳があるのにそれが守られていないことにめちゃくちゃ傷ついていた。あと、どうしようもできないという無力感だった。
私の命の尊厳を守ってくれない人との関係性を育むべきではないとは思うのだが、だから離れて諦めるのも違うんだよなと思う。御嶽の守って伝えていく問題と同じで、扱い方と守り方を伝える義務がこちらにもあるよなと思う。その伝え方がとても難しいのだ。
あ、なぜこの話になったかというと欠陥欠損タイプの人たちは土を守り、そこから命を育み、命を祝福し、命の尊厳を守る人たちなのだそうだ。
だから私はあの時涙が出たのか。。と点と点が結びついた気がしました。
本心の願いがポロッと出てきたんだなあ。
このタイプは存在不安があるので、自分がここに存在している、私はここにいる、を感じることで安心するようです。なので身体感覚を見ろとみいちゃんも言ってました。
ああ私は間違ってなかったんだな。
笠村メソッドで体感感じることをし始めているし、身体が導いてくれてるんだよなと思う。
ここ最近、感じる案件が山積みで、久々に胃腸にきている。。
臍の上のドクドクもすごい。これはどこかで書かれていたけど、自尊心が傷ついているらしい。
胃は孤独・寂しさ。
本当にこればっかりだ。自尊心が傷ついて寂しくて辛いのだ。
感じればいい、これと一緒にいればいいとはわかっているんだけど、やっぱり思考が回ってあっとゆう間に恐怖に変わるんだよね。
このままでいることに耐えれなくなるのだ。
何もしないということが難しくなるのだ。
木のようにドーンと構えているのが欠陥欠損が統合した姿なのだそうだ。
ああそこに近づきたい。
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