私は「行為」が「愛」だと思ってたなと気づきました。
自分の命を削って何かをしてあげることが愛だと思ってた。
そして「愛に応える」=「行為で愛を返す」と思っていたからめちゃくちゃ取引をしていた。
親も愛に応えてねってああしろこうしろと言ってくるし、それに応えないと罪悪感を感じていました。
だから言いなりになったり、理不尽な要求に応えることができることが愛だと思ってました。
子供の頃はそうしないと愛されないって思っていたから。
でも本当は、そうしないと愛されないってことがとても辛かったんだと思う。
私がずっと抱えてた苦しみは、親の言う通りにはできない罪悪感だったと気づきました。
そしてできなかったことを責めていたんだなと思いました。
愛に応えれていない(と思わされていた)自分に罪悪感を抱えていました。
私はダメな子だと思っていました。
今思うと親のことを愛していたから罪悪感を抱えていたんだなと思います。
「こんなにやってあげてるんだからあなたもこれくらいやってよ」って言われることが「絶対にやりたくないこと」だったのが辛かったんだね〜〜〜。。
うんうん。
それに気づけてよかったなと。
だから私は愛されるために何かをしなくていい。
身をささげなくていい。
嫌なら嫌って言えばいい。
それでも私は安心してここにいられるくらい、大人になった。
私はいつでも安心している。
愛は行為じゃなくてあるもを感じることだから。
お互いにこれがあるんだねって感じ合うものだから。
何か理不尽なこと言われたりされたりしても、私は愛されていないんじゃなくて、応えなくてもよくて、それでも愛は私から溢れている。じわ〜〜っと。
やりたくないことはやらない。
それは愛じゃない。
愛って「愛する」とか「愛される」って行為になっているけど「愛を感じる」「愛を感じれない」だけの状態でしかないんだと思う。
だから由佐さんってセッションの時に「あなたの中に何があるのか教えて」「何がないって感じですか」っていう聞き方をするんだろうなあ。
愛は行為じゃないということはわかってきたので、次はありのままの自分でいいんだということを味わっていきたいと思います。
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