感じるということ

Felt sense

何だか意識に上るのでみいちゃんのお金の本を読み返していた。

お金の不安とおそれから自由になる

考えることは「行動」「形」のことになる
感じることは「在り方」「エネルギー」のことだ。

次元(レイヤー)が違うんだなと思った。
言葉って「行動、形」のことしか伝えれなくて
感じると途端にもう1段階広がる。
そしてそこには「ある」ものに照準がいく。

だから感じることが鍵になる。
それができないと「既にある」世界にはいけない。

体感メソッドもやってることは一緒なんだなあって思った。


そしてこの本は「メンタルモデル」の応用編で
自分の生存本能OSを理解した上で自分の意志を使って
命を生き切ろう
と提案している。
めっちゃおもろいんです。

生き延びるやり方はやめて
命を生ききる。

私はどういう意志を使ってどういうエネルギーで在るのか
自分の意志で決めれるんだよという話。

これは新しい引き寄せだなと。

というか引き寄せは本当はこういう話だったのかもしれない。
いろんな段階をすっ飛ばしたのかもしれない。

私の存在はありのままで価値があり愛されているんです
と意志で決めたら誰が何と言おうとそうなのだ。
そして感じることができるのだ。
誰かからとか何かしたからとかじゃなく
感じているからだとしか言いようのない事実。

何が起ころうと豊かさでしかないと。
それが愛だと。
言葉ってほんっと難しいなあ。
私がいうとペラいわあ。

つい何かしようとか成し遂げようとか考えるんだけど
大体それって生存本能からきてて在るものを表現せずに
ないものを埋めようとしてるところからやろうとするから
エネルギー変わっちゃうんだよね。
ほんっとまずは感じよ。
まずはそこからだな。