Needsに気づく

NVC

みんなNVCの練習をさせてほしいというと、ちゃんと重めの話をしようとしてくれるのだけど、私的には日常会話で出てくるその人独自の視点が見えた時にNVCで掘り下げてみたくなる。

「こんなことがあって、変だと思わない?」とか
「こんなことされて、モヤモヤしてる」とか。
あまりはっきりと言語化されていない感情が見えるような時に
これはNVC案件だなと思う。

そこには本人は全く気づいていないニーズが隠されていたりする。
しかしニーズに気づくことは自分の不快に気づき、その不快を受け入れることでもあるので
なかなか怖いことである。

気づかない方が不快は避けれるので生存本能は本当に巧妙に隠す。
正当化であったり、それが普通という言葉で。
正当化は自分の不快に気づくのを避けるために使っている言葉なのだ。

ニーズは気づいてしまうと、それがない現実がとっても不快だということを
認めることになるので生きづらくなる。
ニーズがない現実の不快感を受け入れたら、次はどうやってその現実にニーズを実現させることができるかを考えるフェーズに入る。それは楽しいことだったりする。厳しい道だけど。

これも個人的な意見だけど
もともと内省したりヨガをしたり、自分の内側に意識を向けることが慣れている人には
NVCがやりやすい。
こちらが「〇〇ですか?」と聞くと「ちょっと違う」とか「こっちの方が近い」とか感じる感覚を言語化できる力がある。

それとは逆に左脳的で正論・理論の人は生存本能がとても巧妙だなと思う。
なかなか感じる方にいかないし、崩せない感じがする。
そしてとても防御的。

私の一番身近な練習相手がこの左脳派なので、この人で練習したら他の人は割と素直でやりやすいなと思えるのでいいなと感じた。

しかし私のように「本質を生きたい」「命の道に沿って人生を歩きたい」「魂が求める道に進みたい」と思う方は、ヨガをしたり内省することで早めに自分の本質の道出会えるのではないかなと思う。

そこに辿り着く早さや、何でそこに辿り着くかの手法は人によって様々で違うのだろうけど
私にとってヨガ、ホオポノポノ、ホロスコープ、体感メソッド、メンタルモデル、NVCはとても役立つものだった。