感情を感じるメソッドのYoutubeを見ていたら母との関係性のことだったので
自分の母への感情も見てみることにしました。
大体母への感情はパートナーシップから見ると早いので見てみると「寂しい」とか「もっと私のこと見てよ」「放置せんとって」などが出てきて、そこから幼少期の記憶が勝手に浮かんできました。
私は3人姉妹の末っ子で父には溺愛されていましたが、母にはずっとなんとなく邪魔者扱い、後回し、遊んでと言ってもいつも不機嫌で嫌々対応される、といった記憶でした。
遊んでと言うと「忙しいから1人で遊びなさい」って言われるか、「待って」って言われてずっと待たされて退屈で死にそうみたいな記憶ばかりでした。
ある時ミッフィーのパズルを一緒にしたくて母の用事を待って、やっと遊んでくれたって思ったら「これ1人でも遊べるやろ」って言われてどっか行かれたり、バトミントンしてもらって「あんた下手やから嫌」って言われた記憶が蘇りました。めっちゃ寂しい悲しいの体感。胃が硬直。石みたい。痛い、苦しい。
もう一つ大きな引っ掛かりが残っていました。
私は幼少期、父が大好きでした。遊んでくれるし、よく週末に2人で自転車に乗って遠くまで出かけたりランチ食べて帰ってくるみたいなことをしていました。
母はそれをよく思ってなかったみたいで、いつも嫌味を言われていました。
父に対してぶりっ子、3人で出かけようって言われへんの?と。
父に「お母さんも一緒に出かけよう」と言ったことはありますが、両親は不仲だったので父には2人でいいやんって言われ、何も言えなくなりました。
あと「なんで?お母さんに言わされてんのか?」みたいなことも言われた気がします。
私は母にとても罪悪感を抱きました。
お母さんに「お父さんに断られた」って言ったら悲しませてしまうと思いました。
私は失敗したと自分を責めました。
本当のことは言えずに、
母には「なんでお父さんに言わへんの?お母さんひとりぼっちにして私のこと好きじゃないんか?」って言われたりもしました。
これは5歳くらいだったと思うので、まだ母親が必要だし、母親のゆうことは絶対だったので、心底自分が悪いと思っていました。自分が出来損ないだからお父さんとお母さんと3人で出かけられない、私のせいだ、と罪悪感でいっぱいになって苦しかったし、お母さんに嫌われるかもしれないと思って怖かった。
なのでもう父と出かけないでおこうと思いました。
そうしたら「3人で出かけよう」と言わなくて済むし、失敗して母を悲しませることもない。
そう思い楽しみだった大好きな父と出かけるのを我慢しました。
「私だけが楽しんでは行けない」と心に刻みました。
私が母に対する罪悪感から、私は父を嫌うようになりました。
私の中に「罪悪感」の体感がセットされました。
この罪悪感を味わうために潜在意識は現実をたくさん用意することになります。
その後数年たち、どんなシチュエーションか忘れましたが、母に父と3人で出かけるように仕向けろみたいなことを言われ、その時もおそらく父には断られるだろうと思いました。それも嫌だったし仲を取り持っても私は何もできないと思うのも避けたくて「私はどこも行かない」っていうと「あんたとは口きかん」と言われ、キレられたことがありました。これは10歳くらいだったかな。
私はその時の体感はなんとなく覚えていて怖かったし焦ったのもあったけど、なんでこんなこと言われなあかんの?って思ってショックだった。
父との不仲は「あんたのせいやで」みたいなことも言われたと思います。
私は父と出かけるのも我慢したし、父と口を聞かないようにした。
そこまでしたのになぜこんな言われもないようなことを言われて感情の吐口にされているんだろうかと思ってショックで悲しかった。
私が母の気持ちを思っているほど母は私の気持ちは思ってくれない。
自分の気持ちしか考えない。
自分が苦しいから私にぶつけていいと思っている。
母は自分の寂しさを埋めるために私を利用していた。
そして自分自身の感情が苦しくて私に当たっていた。
私の言うことだったら父は聞いてくれると母は思ったのだろうと思う。
私がお母さんを大好きなこと・家で一緒にいる時間が長いからゆうことを聞かざるを得ないことを利用して、お父さんを無視させる。なのに父との仲をとり持たせることを私にさせようとするし、失敗したら子供にとったら生存を脅かすようなことを言って支配する。
今考えると子供の自分にとっては死ぬほど辛く苦しいことだっただろうと思います。
体感を感じてもやはり胃が痛くて苦しくて息がしにくい。
罪悪感を与えて行動を支配しようとされることがとても恐怖でした。
罪悪感を感じるとNOって言えなくなる。
それは母に愛されていないと認めることだったからかもしれない。
恐怖の下にはショックと悲しみがあるのかもしれない。
なぜ母は父とコミュニケーションをうまく取れないことを私のせいにするのか?
父と母がうまくいってないのは私のせいなのか?
幼少期の私は全部私が出来損ないだからって思ってました。
母は私が思っているほど大人じゃなかった。
私の母でいる前に女性として父に見てもらいたかった。
私より自分が優先だった。
思春期の私は「理不尽だ、私は当たられただけ、私は何も悪くない」と思っていました。ただの感情の吐口にされていることに怒りを持ち続けることになります。
おそらくここで母からは精神的に自立することになったと思います。
母が私に対して無碍な扱いをするのは私のこと好きじゃないからだろうな。
私のこと愛してないんだろうなと思いました。
「私は母に私が母を愛しているほど愛されていない」
「私は母に嫌われている」
そう口に出すたびに鳩尾が震えました。
すごい恐怖を抱え込んでいたんだなって思いました。
感じると涙も出ましたが号泣した後みたいな疲れがきました。
こんなにも大好きで大切だと思っている人に、そう思われていないことがとてもショックでした。
そして相手に思い通りに動かそうとされて罪悪感を抱かされることが苦しかった。
罪悪感って自分がそのままではここに居れない感覚、鼓動が早くて息が止まって、胸の辺りがざわざわする。空気が重くて鉛みたいになる。
支配されて行動の自由がなくなるのが怖い。
胸が苦しくなる。呼吸が浅くなる。深く吸えない。
好かれてないことも相まって苦しい。
だから私は同じような体験をよくするんだなって気づきました。
親友のような人に、どう考えても私は悪くないと思うことで責められて謝らなかったらキレられる
ということが起こります。
私は今まで相手の方を大事に思って色々と心を向けてきたのにどうしてこんなキレられ方をして大事にされないんだろうって思ってショックを受けていました。
全部母親との感情の体験が潜在意識にこびりついてて、体感に残っているから起こるんだな。
私は大切な人を助けたい・役に立ちたいと思っているから、
助けられない・役に立てない時に罪悪感を感じるんだな。
ああ、私の体感は「助けられない・役に立てない時の罪悪感」を感じたいんだな。
だから大切だと思った人は私に無理なことを言ってくるのか。
子供が駄々をこねるように、ただ感情が苦しくてしょうがなくて
「あんたどうにかしてよ!」ってぶつけられてるだけなんだよなあ。
そっちの方がよっぽど可愛い。
今はもう大人なので親がいなければ死ぬという状況ではないので親に対して恐怖はあまりありませんが、体感は残っているんだなあって思いますし、これを子供の時に体験してたと思うと、本当に怖かったし、ものすごく苦しかっただろうなと思います。
私は幼少期、自分のことを「いらない子だ」と思っていたり「存在消えたい」と思っていたのは、潜在意識にひとりぼっちにされた時の恐怖の体感が残っていたからだと思います。
あまりの怖さに、思考=生存本能が「私は出来損ないだから愛されない」にすり替えたんだと思います。
そうすれば行動することで免れる気がするから。
でもこれで生きてると支配されて自由がなくなる。
本当に感じたくなかったのは、私は「ひとりぼっちで置いていかれる=捨てられる恐怖」だ。
私は20代くらいまでは本当に怒りがすごくて、怒りの感情のお世話が大変でした。
母に対してめちゃくちゃ恨みがありました。父とのことで間に挟まれて辛かったことがとても大きくあります。感情の吐口として無碍に扱われたこと、大切にされなかったことがとても悲しかった。
怒りの原因は「私がお母さんを思っているほどお母さんは私を大切にしてくれない」があったと思います。ずっと「もっと大切にしてよ」って言いたかったんだと思います。あとなぜか母に捨てられたと思っています。
「大切にされなかった・捨てられた」ということがとても苦しく体感に残っています。
それくらいショックで受け入れることが難しいことだったんだと思います。
「私は大切にしてもらえない」と認めるととても傷つくと思っているので生存本能が気づかないように防御してくれます。
それが私にとって「私は役に立たなければ捨てられる」ということだったんだろうと思います。
役に立てば大切にしてもらえると思っていたかった。
「大好きな人を助けられない、役に立てない罪悪感」を感じたくない。その先に捨てられる恐怖が待っているから。だから言うことを聞いてしまう。
「大切だと思っていた人に利用されていただけで、罪悪感をわざと与えられて行動を支配しようとされる悲しみ」を味わいたくない。
だから力をつけて自立したいって思っていたのかもしれないなあ。
あ、自立できそうな時に相手が離れていかれるのが怖くて支配しようとしてくるのかもしれないな。
私は捨てられないように依存させているのに成功しているんだ。
味わいたくない=体感が残っている=感じ切る
「大好きな人を助けられない、役に立てない罪悪感」を感じたい。
「大切だと思っていた人に利用されていただけで、罪悪感をわざと与えられて行動を支配しようとされる悲しみ」を味わいたい。
「私にはできない」ってちゃんと言うこと。
「私は愛されていない」ってちゃんと認めること。
この2つは裏表のコインのような状態なんだ。
「捨てられないために母を助けなきゃ・役に立たなきゃ」=「捨てられないように相手を依存させる」
⇅
「助けられない罪悪感を与えて行動を支配する」
どちらも恐怖からの行動なので依存や支配関係を作ってしまうんですね。
愛されず捨てられてひとりぼっちになる恐怖を感じ切る
これができていたら支配されることもないし、無理やり好かれようと行動しなくてよくなります。
愛されるための行動は取らなくてよくなります。
そして不思議なことに私は愛されていたなあって感じることができます。
だって私は役に立ってないのに捨てられませんでしたから。
大切に育ててもらいました。
ネガティブを感じるワークをしていると、
思考ではこんな状況「最悪だ」って思うような時でも私が私でいれること、
誰にも尊敬されずに誇れずにいる状態でも、私が私で落ち着いていられるような安心感が得られるのがこのネガティブな感情を体感を感じることで身についてきました。
私は「潜在意識=身体に溜まっている体感 は再現される」は真理だと思います。
どんなことが起こっても、自分の体感=潜在意識=ウニヒピリが「まだ体感が残っているよ、気づいて」って起こしてくれたこと。そう思うと私のウニヒピリに愛情が湧くし、見せてくれてありがとうって自然に思えるようになります。何より体感を感じ切ると安心感がやってくるのでそれが自分自身でいることへの自信につながります。
それが未来を作ってくれるといいなあって思います。
コメント